Saturday, February 9, 2008

Happy Birthday- February 8th, 2008

ルーマニア人ですが、よく知り合いに“お前はロシア人?”と言われます。生まれたのは、ブカレストから300キロ離れた、オネシチという町です。自然が多い所です。
2000年に、ブカレスト、建築大学に入学し、3年後の冬休みに、ルーマニアから始めて日本に来ました。
それが2003年2月の八日です。

それから、丁度二年後の、2005年2月の八日に息子が生まれました。
その時から、二人とも毎日のように日本語の勉強と日本で生きていくことを学んでいます。息子の小さい時を思い出すと、大切な事が分かりました:寝ること、水分を取ること、よく笑うこと、よく泣くこと、よく遊ぶこと。

息子が生まれた年から、私の日本語の能力がちょっとずつレベルアップしましたが、息子の日本語にはとても及びません(およびません)。

私が日本に来た時を0歳とするならば、私が2歳の時に息子が生まれました。現在息子は3歳、日本語の能力も3歳で、私は5歳です

5ヶ月前から、毎日仕事に行くようになり、前と比べれば、一緒にいる時間がかなり少なくなりました。その間に私たちの日本語の能力はかなり違ってきました。私の日本語はあまり変わり無いですが、息子の日本語はうまくなりました。息子のおかげで毎日の暮らしが幸せに感じます。

ついこの間、二人で別々なおもちゃの車に乗って、家の中で遊んでいた時に、二人とも前向きになって車がぶつかりました。“ぶつかった”と言う言い方しか知らなかった私に、息子は“衝突した”と言いました。
その言葉が分からずに“そう?!?”と私は言葉をなくしてしまいました。私はすぐに電子辞書で、“衝突”を検索しました。検索結果を見た後に、息子の顔を見ながら、“なるほど”しか言えませんでした。

先日、仕事から帰って、息子との遊びが始まりました。走ったり、ベッドの上で飛んだり、絵本見たり、息子は私に向かって言いました:“お父さん、競争しよう!”
今回は、なにも言えずに、息子の言う通りにしたかったけど、なにをすればいいかわからなかった。
“息子よ、お父さんが分かる言葉で言いなさい”と思いましたが、なにも言えませんでした。
“どうやって競争をするの?”
“こうだよ、こう”と車を動かして言いました。
私は電子辞書の方へまた向かいました。競争=Competition、Raceだ!そうやって新しい単語を覚えました。

そして、小さな喧嘩の後、仲直りするために、顔と手を洗って、ハミガキしてと、息子に言ったら、“はい”と答えました。いつもより、静か(しずか)に早く手を洗いました。椅子から降りて、洗面所を出た時に、ドアが強く閉まった弾みで息子の顔が見えました。その瞬間、息子は私を見て“ツンボケコノ”と言いました。
訳(わけ)が分からなく、息子の言ったことを記憶して、親戚の人に聞きました。
“ツンボケコノ”はなんですか?
答えを聞いて、息子のおばあさんと一緒に大笑いしました。私はこれから勉強する日本語が山ほど有ると感じております。

3歳の私の息子を、何年後にも見たい。
3歳の私の息子と、何年後にも話したい。
3歳の私の息子をずっと見ていたいですが、大きくなって、学校から帰って来る息子の姿も見たいです。
その時に彼に聞きたいことが有ります:“今日は学校で何を勉強した?見せて!お父さんにも教えて!”